家で私がひらがなを教えようとすると、なかなか続きませんでした。私はすぐに答えを求め、できないと焦ってしまいます。ところが、日本語学校では違いました。
「昨日もやったでしょう」「これは前にも教えたよ」「どうして覚えていないの?」子どもにすれば、学校や保育園で一日を過ごしたあと、家に帰ってから、また日本語の勉強をしなければなりません。しかも、教えるのはママです。親子だからこそ、お互いに甘えも出ます。親は感情的になり、子どもは素直に聞けなくなることもあります。
日本語学校では、先生がいて、クラスメートがいて、今は日本語を勉強する時間だという環境があります。みんなで一緒に声を出したり、文字を書いたり、同じ宿題に取り組んだりします。子どもたちは、少しずつ、ひらがなを覚えていきました。
私は「やっぱり環境が変わると違うんだ」と嬉しくなりました。これで日本語が読めるようになる。ひらがなが読めれば、日本語の本も読める。本が読めれば、日本語を理解できるようになる。私は、そう思っていました。
けれど、ある日の出来事が、その考えを大きく変えました。
子どもが、ひらがなの練習をしていたときのことです。練習用紙に書かれていた「みかん」という文字を見ながら、子どもは一文字ずつ丁寧に写していました。
み。か。ん。
きれいに書けました。私は、ひらがなが書けたことを嬉しく思いました。すると子どもが、私に聞きました。
「みかんって何?」
一瞬、何を聞かれたのか分かりませんでした。「みかん」という文字を読んで、書いているのです。当然、その言葉の意味も知っていると思い込んでいたからです。
でも、子どもは「みかん」という音と、目の前の文字を結びつけて書いただけでした。その言葉が、オレンジ色の果物を指しているとは分かっていなかったのです。
私は、そのとき初めて気づきました。文字を読めること。文字を書けること。言葉の意味が分かること。その言葉を使って話せること。これらは、すべて同じではないのです。
- ひらがなを読めるようになったからといって、内容を理解できるとは限らない
- 文字をきれいに書けても、その言葉を会話で使えるとは限らない
- 「読めたから分かっているはず」を一度手放してみる
「読めたから分かっているはず」「書けたから覚えたはず」——そう思っていた私は、子どもの日本語の一部分しか見ていなかったのです。
がんばりすぎない日本語教育と絵本の読み聞かせについて、私自身の体験を交えてまとめました。